文章を書くことが好きだった。嬉しかった言葉はけっこう残るという話。

僕は文章を書くことが好きだったように思います。くだけたエッセイのような文章を書くのが好きでした。壁新聞やフリーペーパー、学生時代はちょこちょこと色んなものに書いてました。

でも、ずっと続けてたわけではありません。いつの頃からか、ガチでやってる人に対して引け目みたいな感情が生まれてきました。文芸部に入ってる人、小説家さん、ライターさん、はたまた文系のみなさん?!など。強烈なアイデンティティを出してバリバリ量産している人を見ると、そこまで入れ込めなかったり、自身の稚拙な文章に嫌気がさしたり、切り口のセンスの不足を感じて、段々と離れていってしまったのです。(今の時代だとブロガーさんも含まれたかもね…)

理系に進んだわけだし、文章で金を稼げるわけでもない。「得意でもなかったのだから」との結論づけ。他人と勝手に比較して落ち込み、自分の好きなことまで曲げてしまった。自己肯定感を維持するために遠ざけたんですよね。

社会人になりITエンジニアとして働くようになってからはすっかりご無沙汰でした。ただ仕事でも文章を書くことは必要。提案書、ビジネス文書やら、仕様書、Webサイトの文言から日々のメールまで文章力が要求される場面はほんとに多いです。僕もそれなりのアウトプットは出せますが、これらが好きかと問われると好きではありませんでした。仕事で書く文はあの頃好きだった「文章を書くこと」とは遠い地平にあるように思えるのです。

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不思議なことに「いつかまた文章を書こう」と思ってる自分がいるんですよね。あの時自分は見限ったけど、やっぱり何か書けちゃうのではないか?という期待がずっとあるんです。

なぜなのか?よく振り返ってみると、書いたものに対して「いいね」「うまいね」って言ってくれた人たちがいた。褒められた経験がある。これが期待の源泉でした。

特に覚えているのが、高校の先生です。国語の授業でエッセイを書くことがあったのです。この時はなぜか受験勉強の束の間休息!とばかりに全力を尽くして書いた記憶があります。

この時、先生に「君は文学的で面白い文章を書くね」という言葉を頂きました。

理系クラスゆえ周囲がカッチカチの文章ばかり書くなか、僕のゆるふわした文章がウケただけかも知れません。それでも自分が力を込めて書いたが文章が「文学的で面白い」と言っていただけた。これは妙に嬉しかった!

しかしながら白状すると、何を書いたかはあまり覚えていないのです…。褒めていただいたことだけが都合良く残ってるんですよね。

 「嬉しい言葉は事実を凌駕する

というマイ格言を思いつきました。たった今。


あれから随分と年月がたちました。文章を書くことから遠ざかった僕も、結局好きなように書けばいいという当たり前のこと辿り着き、このブログを開始することになりました。筆が進まないこともあるかも知れません。そんな時は先生にいただいた言葉を過分に反芻して背中を押してもらおうかなと思います。

今週のお題

今週のお題特別編「嬉しかった言葉」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉

 

「ふぅ。ファイナル。書けたわー」と一息ついて気づきました。

締め切りすぎとるやんけ!


29日(水)まででした。ま、いいか。