はてなブログ開設から5年

このブログは2015年の4月17日に開設された。

当ブログの開設日

ちょうど本日で5年が経過した。

なにもかもが懐かしい。あのころ触れ合った皆様元気だろうか。私は元気です。

もっとも5年という歳月のうちまともに更新していたのは最初の半年程度のものであとはずっと放置だ。5年間何かを続けていたという意識はない。続かなかったという意識はある。

当時書いたいくつかの記事には5年経った今もなお細々としたアクセスがあるし、いつか再開するだろうとの目論見のもと残してはおいたが本格的に再開にはいたらず本日を迎えることとなった次第である。

 

世の中は新型コロナウイルスの感染拡大の影響でとんでもない事態になっている。生まれてこの方多くの事件・災害が発生し、関連する報道や声などに触れてきたが、ここまで「自分ごと」となる出来事は初めてではないだろうか?

 

私自身は現在、大都市圏と比べると感染者の増加も落ち着いている地域に住んでいる。ようやく緊急事態宣言の仲間いりをした地域だ。医療従事者というわけでもない。にも関わらず働き方への影響はあるし自粛により市中の人出は大きく減っている。

いやおうなく誰もがある程度平等にこの災禍に向き合うこととなっている。

今後に向けた動きを取ろうにも人に会って策を練ることは出来ない。いつまで続くか分からない。もどかしい。まだ入り口かも知れないのだ。

今までは運がよかっただけなのだ。

 

今は歴史的な事態のさなかにある。間違いなく教科書に載るだろう。

これまでも歴史的な事態は起こってきた。専門的、俯瞰的な視点から整理されマクロの中の動きとして文章化されている。知的好奇心を満たしくれる。

一方後世に生きる私の心を動かすのはそのような事態の中「市井の人々」がどのように感じて行動していたか?でもある。当時の人が残してくれた日記などの記述に共感することが多々ある。

 

ブログを始めた5年前に比べてよりインスタントなSNSの力が大きくなっている。動画配信もさらなる流行を見せている。人々の瞬間的な感情は無数に発信される。拡散されるものもあればまたたく間に虚空に消えていくものもある。

ブログは似たようなものだけど、それでも瞬間的に消費されるSNSよりは「市井の人々の日記」に近い側面が残っているのはないだろうか?

 

5年を機にしばらく更新頻度をあげるのも良いかも知れない。

 

そんなことを考えてみたが、たいていは普段から書き続けてきた人の日常ががらりと変わる瞬間も含めて記録されているからこそ面白いんだよね。

というわけでこの考えも瞬間的に消費され虚空に消えていくのであった。

まあ「自分ごと」でありどこまでも自分のためだ。

気が向いたら書くというスタンスをつづけてこの場は残しておこう。