マスクの着用により自分の無意識があぶり出された話

新型コロナウイルスの感染拡大により基本的にマスクを着用するようになった。

目下のコロナ禍は歴史的な状況であり、人々がこれまでの行動様式を改めることを迫られている。多くの人々が否応なく新しい体験をすることになる。今までの生活では見えていなかった、意識していなかったことに気づくことも多い。私も様々な気づきを得て平和だった過去に感謝する日々を送っている。

 

さて今回はマスク着用の話である。

(私が住んでいるところは急激な感染が広がっている大都市圏ではなく、マスクも運が良ければ並ばずに手に入れることが出来た。まあ1ヶ月前の話でそろそろ紙マスクのストックが心配な状況ではあるが…)

 

家に居ないときはマスクの着用を徹底するようになった。それまではこれほど長い期間マスクをつけることは無かったと記憶している。新型インフルエンザ流行時の通勤電車の中では着けていた記憶があるが、今のように正しく装着できていたか定かではない。

 

1ヶ月ほど続けてみて気づきがあったので残しておくことにする。ネット用に大仰に表現するならば「マスクの着用により自分の無意識があぶり出された話」とでもなるだろうか? 

想像以上に自分は顔を触っていた

まずそのとおりの話である。ウイルスの感染経路は飛沫感染の他に接触感染が存在する。ドアノブ等から手指についたウイルスが口や鼻に近づくことによって感染してしまう接触感染防止のためにマスクで直接粘膜に触れないようにしようと様々な媒体で注意されている。

そう、マスクをしていて気づいたのは自分が想像以上に顔を触っているという事実だった。

目をこっすたり、頬杖をついたり、鼻を掻いたり、髪型を気にしたりと無意識のうちに行っていた。現在は手をのばすとマスクに当たるため「ハッ」と気づくのだ。

そしてその回数はかなり多い。マスクがあるからムズムズして触りたくなる側面もあるだろうが、それだけでは説明しきれない。

 

接触感染については「顔を触らない」と注意されていることではあるが、マスクが無いと自分では防げないだろうと思った。

www3.nhk.or.jp

このような記事も出ているが、常にペンキだと思って顔触らないようにすることは自分には無理そう。

マスクを着けているとラクである

最初のものは感染防止に関する直接的な気付きであるが、こちらは副次的な気づきだ。

いや、たしかにマスクは鬱陶しいしメンドイし無い方が良い。

しかし一方でマスクをしているとラクだと感じている自分がいることに気づいた。特に買い物や散歩など自分の知らない他者と接する可能性があるときに実感している。

 

なぜだろう。2つの理由に思い至った。

口元を隠せる

どうも無意識で自分の口元は穢れと認識していたらしく、マスクで口元を隠した状態はラクなのだ。口を隠して笑うとか、歯を見せないとかあの類の規範だろうか。アクビをしてもバレないし。口角に気を使わなくても済む。ともかく口元の運用がラクになったと思う。

まだトライしたことはないが休日の買い物程度ならヒゲ剃らなくて出かけても良さそうだ。なんならペロペロしたりも出来そうだ。しないけど。

 

マスク効果で多少はイケてるように見える気がするのも確かだ。マスクは七難隠す。

他害の意思はないことを自動的に示せる

私は身長が高い。日本人の上位1%に入るであろうデカさだ。

空間に存在しているだけで威圧感を与えると認識している。人混みでは出来るだけ威圧感を与えないように気をつけている。周囲の人を無駄なパワーにより傷つけてしまわないか注意している。結構つかれる。

 

平時であればマスクをした大男など恐怖の対象と構えられてもおかしくないが今は状況が違う。マスクの他者感染防止効果は専門家でもはっきりと断言しないグレーな領域ではあるが、一般の人々の間では飛沫を直接飛ばすよりはマシというコンセンサスはあるだろう。

今はマスクをしているだけで「貴方に他害の意思はないですよ」と1点外形で示すことが出来る(となんとなく思っている)のだ。

威圧感を下げることが出来るバフ(デバフ?)が働く気がしている。

これはラクである。

だからと言ってマスクしてない人を見かけても「探したけど買えないもんな」としか思わないんだけど。

 

以上、実際過酷な医療現場や自粛で休業を強いられている人びとにはぬるくて申し訳ない話であるが、マスク着用生活を続けて気づいたことを書いた。